廊下に蛍光灯の白い光が満ちていた。
床のリノリウムは何十年分もの靴底に磨かれて、滑らかではなく、ただくすんでいた。壁の石膏は水分を吸って膨らみかけており、つなぎ目の近くから薄茶色のしみが広がっていた。空気は古い紙と塩素と、もう一つ何か、燃やしたものの臭いが混じっていた。
男は廊下の真ん中に立っていた。
立っているというより、そこに発生していた。両膝はわずかに曲がり、重心は前足にかかり、右手の指はゆるく開いていた。戦闘配置だった。長年の習慣が体に刻んだ形だった。敵の気配を感じたとき、意識が追いつく前に肉体が先に知る、その形だった。
だが敵はいなかった。
巨人はいなかった。
空もなかった。
男は目を細め、廊下の両端を確認した。右端には木製の扉が三つ。左端には階段の入り口。天井には等間隔に蛍光灯。扉も天井も壁も、すべてが内側だった。外がない。どこにも外がなかった。
大気の震えがなかった。地鳴りがなかった。
彼は三秒かけて、自分が誰であるかを思い出した。
名前はウィンストン・スミス。年齢は三十九。外囲党員。真理省記録局勤務。住所はエアストリップ・ワン、ロンドン、ビクトリー・マンションズ、第七階。
それがこの体の答えだった。
だがその答えの後ろに、別の層があった。破れかけた薄紙の裏側のように、もう一つの名前が貼り付いていた。そちらの名前を思い出そうとすると、それは煙のように広がってつかめなかった。しかし確かにあった。ずっとそこにあった。
エレン。
エレン・イェーガー。
彼は廊下の壁に片手をついた。リノリウムの床が遠くなったような気がした。頭の中で何かが激しく回転していた。記憶が二重になっていた。ウィンストン・スミスの三十九年と、もう一人の男の時間が、同じ頭蓋骨の中で重なっていた。
母が死んだ。母が食われた。壁が崩れた。
違う。その記憶はウィンストンのものではない。
だが、その記憶は確かに彼のものだった。
足元からかすかな振動が来た。階段の上の方で誰かが歩いている。その音に体が反応した。脊髄が先に動いた。壁際に寄り、気配を消し、息を浅くした。
歩いてきたのは青い作業服を着た若い男だった。書類の束を抱えて、視線を床に落としたまま通り過ぎた。男は一度もこちらを見なかった。廊下の角を曲がって消えた。
彼は壁から離れた。
体の状態を確認した。身長は低く、肩幅は狭く、右足首の近くに静脈瘤がある。筋肉の質が違った。戦場で鍛えた体ではなかった。紙を運び、椅子に座り、廊下を歩くためだけに使われてきた体だった。素手で何かをつかんで引きちぎることのできる手ではなかった。腕も足も、まるで他人のものだった。
変身できない。
その言葉が頭の中を走った。硬直反応の記憶があった。首の後ろに歯を立てる感触の記憶があった。大気を焦がす熱の記憶があった。どれも、この体にはなかった。骨の中に何もなかった。
パスがなかった。
道もなかった。
壁の向こう、座標の彼方、時間の最初と最後をつなぐあの感覚が、どこにもなかった。それは唯一、絶対に奪われないと思っていたものだった。
彼は歯を食いしばった。
廊下の突き当たり、スチール製の扉のわきに、金属の板があった。縦三十センチ、横四十センチほどの、鈍い光を反射する長方形の板だった。表面はくすんだ鏡のように見えたが、鏡ではなかった。スクリーンだった。灰色の光が奥から湧き出しており、そこに何かが映っていた。
最初は女の顔だった。歯を見せて笑っている。何かを宣言している口の形だった。音は出ていなかったか、出ていても廊下の空気に溶けて届かなかった。
次の瞬間、画像が切り替わった。
男の顔が現れた。
巨大な顔だった。
四十代か五十代か、黒い口髭が濃く、額は広く、顎は重く、目は二つの暗い穴だった。穴の底から何かが見ていた。表情は厳かで、慈悲深く、揺るぎなかった。その顔の大きさは、廊下の板のサイズをはるかに超えていた。どこかの印刷所でポスターとして刷られ、この廊下のあらゆる壁に貼られているその顔と、今スクリーンの中にある顔は、同一の顔だった。
文字があった。
ビッグ・ブラザーはあなたを見ている。
彼の体が止まった。
心臓が一拍、別の速度で動いた。
その顔を見た瞬間、何十年も積み上げてきた兵士の勘が、一つの情報を出力した。
敵だ。
それだけだった。それ以上でも以下でもなかった。理由はなかった。証拠もなかった。ただその顔を見た瞬間、体の奥のどこかで、巨人の目を見たときと同じスイッチが入った。獲物の位置を確認し、距離を測り、最短経路で首の後ろに到達するための計算が始まった。
首の後ろがない。
計算が止まった。
この敵には、殺し方がなかった。
紙の上の顔だった。スクリーンの中の光だった。どこにも実体がなく、どこにでもあった。つかむものがなく、壊すものがなく、ただ見ている。
彼は廊下に立ち尽くした。
蛍光灯が白く光り続けた。どこかで機械が低く唸っていた。遠い廊下から靴の音が聞こえ、また消えた。スクリーンの中の顔は、切り替わることなく、そこにあった。眼が動くように設計されていた。見る角度を変えても、視線はこちらに向いていた。
かつて壁があった。
高さ五十メートルの石の壁が、世界の縁を定義していた。壁の内側に生まれ、壁の内側で育ち、壁の内側で母を失った。そのとき彼の中に生まれたものは、憎しみではなかった。正確に言えば、憎しみよりも純粋な何かだった。壁を壊すこと、外を見ること、この世界の端まで走ること。それだけだった。それだけを動力として、ここまで来た。
今、壁はなかった。
代わりに、どこにでも貼られた一枚の顔があった。
どの廊下にも、どの広場にも、どの部屋の壁にも。金属の板の中にも。人々の目の奥にも。おそらくは、もっと深いところにも。
これが新しい壁だった。
石ではなく、視線でできた壁だった。
彼は動いた。廊下を歩いた。歩きながら、その体に何が残っているかを確かめた。変身する能力はない。巨大化もできない。パスの声も、座標の感触も、始祖の力も、何もない。肉体は弱く、右足首が痛む。ウィンストン・スミスとして生きた三十九年分の疲労が、この体の全細胞に染み込んでいた。
残っているのは、それだけだった。
それだけが残っていた。
階段を下りながら、彼はもう一度そのポスターを見た。踊り場の壁に、廊下と同じ顔が貼られていた。目が動く設計だった。どの角度からでも、視線はこちらに向いた。
彼は目を逸らさなかった。
そこには何もなかった。石の壁が崩れてもその向こうに世界があったように、この顔の向こうに何かがあるはずだった。方法はまだわからなかった。道はどこにもなかった。武器もなかった。
それでも、怒りだけはあった。
怒りだけが、この体に入る前から持ってきたものとして、今もそこにあった。
一段ずつ、彼は階段を降りた。
外では、風が窓ガラスを叩いていた。四月の光は冷たく、埃を巻き上げながら路地を走っていた。黒口髭の顔が通りの角から見下ろし、向かいの建物の壁から見下ろし、ビルの屋上のどこかから見下ろしていた。
男はコートの前を合わせ、出口に向かって歩いた。