Chapter 1: The Binary Signal Beneath the Valley

風が、止んだ。

それはいつも予兆だった。風の谷に生まれ育ったナウシカには、風の沈黙が何を意味するか骨の髄まで染み込んでいる。風が止めば、腐海の瘴気が動く。風が止めば、蟲たちが集まる。風が止めば、何かが始まる。

だが今夜の沈黙は、これまでのどれとも違った。

松明の炎がまっすぐ燃えている。谷の北壁に刻まれた古い石段を降りながら、ナウシカはその静止した炎をじっと見つめた。橙色の光が岩肌に映り、影が微動だにしない。地上では風がどんな夜も谷の奥に潜り込み、蝋燭一本、枯れ草一本を揺らさずにはおかない。それが風の谷の呼吸というものだった。

それが今、止まっている。

「おかしい」と彼女は声に出した。声は石壁に吸い込まれ、かすかな響きだけが戻ってきた。

ナウシカは十八になったばかりだが、その目には子供のものとは言いがたい落ち着きがある。腐海に接した小国の王女として生まれ、父の病床を支えながら谷を守り続けてきた。背はそれほど高くない。青い装束はいつも虫の鱗粉で白く汚れ、腰のベルトには風呂敷で包まれた測定器具と、使い古された短剣が一本。髪はヘルメットの縁から風に踊っているはずなのに、今は首の横にぺったりと張り付いている。

地下への石段は三百年前に封じられていた。長老たちは誰も理由を明かさなかった。ただ「蟲たちが望んだ」とだけ言い、子供の頃から入り口には重い石扉と錆びた鎖が掛けられていた。

その鎖が今夜、内側から揺れていた。

ナウシカが気づいたのは日没前だった。谷のはずれで風を測っていると、足元の岩盤が微細に振動している感覚があった。腐海の蟲の通り道に生じる地響きとは違う。規則的だった。一定のリズムで、止んで、また繰り返す。彼女は耳をつけて岩に聞いた。石が内側から、まるで誰かが壁を叩くように、冷たく規則正しい拍を刻んでいた。

今思えば、それがあの信号の最初の声だった。

石扉の錠を外すのに少し手間取った。千年前の鍛冶師が打ったものらしく、形そのものが今の技術と異なっていた。だがナウシカは道具を持っていた。それより何より、扉は開きたがっていた。鎖の錆が粉になって床に落ち、石扉が一指の力で動いた。まるで何かが向こうから押し広げていたかのように。

冷気が噴き出してきた。

地面の匂いがした。濡れた土と石灰と、もう一つ、ナウシカには言語化できない何かの匂い。それは腐海の瘴気ではなかった。植物の毒を含む腐海の空気には、甘く刺激的な腐りの匂いがあり、彼女はそれを幼い頃から嗅ぎ慣れている。だがこれは違う。金属と真空と、時間そのものが凝固したような冷たさだった。

松明を手に降りていく。

段を踏むたびに、規則的な拍動が強くなった。

石段は五十段ほどで、広い空洞に開けた。

ナウシカは足を止めた。

松明の光が届く範囲で、壁と天井と床を確認する。天然の洞窟ではなかった。壁は均一に磨かれ、正確な直角を持つ部屋の形をしている。だが建造したのは人間ではない、と彼女はすぐに悟った。石の継ぎ目がなかった。壁全体が一枚の岩であるかのように、加工の跡さえない。そしてその壁に、複雑な模様が刻まれていた。

松明を近づけて眺める。

模様は直線と点の組み合わせだった。幾何学的で、有機的な曲線を一本も持たない。長い線、短い線、そして丸い点。それが列をなして壁一面を埋め尽くし、天井にまで続いていた。ナウシカは指を伸ばし、一本の線を触った。

その瞬間、拍動が止んだ。

部屋全体が息をのんだようだった。

一秒。二秒。

そして再び始まった。だが今度は違う場所から。部屋の中心、床から。

床の中心部が、淡く光っていた。

ナウシカは松明を持ったまま近づいた。光は石の割れ目から漏れている。いや、違う。割れ目ではなく、模様だった。床にも壁と同じ直線と点の模様が刻まれていて、それが今、冷たい青白い光を放っている。

拍動が続く。長い。短い。短い。長い。長い。長い。短い。

ナウシカは膝をついて耳を澄ませた。その目が、光の模様を追う。

脳裏で何かが動いた。

腐海を飛ぶとき、蟲の動きのパターンを読む。風の向きと雲の形から嵐の到来を予測する。植物の生長の速さで土の毒素濃度を測る。ナウシカはずっと、数字よりも体で世界を読んできた。計算ではなく、直感で。

長い拍動を一、短い拍動を零として置き換えると、八つ組のまとまりが見えてくる。

八つ組。

全部で三十二のまとまり。

それぞれが、何かに対応している。

「数だ」と彼女は呟いた。「数を数えている」

光の模様が、一から順に整数を刻んでいた。数の概念そのものを、発信側と受信側で共有するための最初の問いかけのように。ナウシカはかつて遠い廃墟の図書室で、古代の数学者たちが異文明に信号を送ると仮定した場合どうするかを論じた書物を読んだことがある。その書物は半分焦げており、残りの文章から意味を拾うのに一晩かかったが、彼女はその問答を今でも覚えている。言語は違っても、数は同じだと、その焦げた頁は言っていた。

二の冪乗。素数の列。整数の並び。

これは、言葉ではなかった。

これは、呼びかけだった。

「誰が、こんなところに」

声が震えた。怖いからではない。全身の細胞が、地下の冷気の中で何か巨大なものに触れたと告げているからだった。これは生き物の声ではない。この拍動には体温がなく、痛みがなく、欲求がない。蟲たちが発する菌糸のネットワークを通じた信号とも全く異なる。あれには感情があった。怒りや、悲しみや、遠い記憶の残滓が、ナウシカにはいつも伝わってきた。

だがこれは違う。

純粋に冷たく、精巧で、感情を持たない何かが、この床の下から発信し続けている。

ナウシカは光の中に手を差し入れた。

松明の炎が揺れた。無風の地下で、炎が揺れた。

光が手のひらを包んだ。冷たくはなかった。熱くもなかった。触覚そのものが宙吊りになったような、奇妙な感触だった。光は指の隙間を流れ、袖口を這い上がり、やがてナウシカの全身を青白く縁取った。

そのとき、彼女の頭の中に音が来た。

音ではない。音のない音。映像でもない。感触でもない。だが確かに、何かが情報として流れ込んできた。それは広さだった。果てのない広さの感覚。上も下もなく、前も後もなく、ただ広がり続ける無限の暗闇の中に、火花のような光の点が無数に散らばっている。それぞれの光の点が生命を持ち、それぞれがこの宇宙のどこかに存在する、何十億年もの歴史を持つ文明の名残だという確信が、言語を持たない形でナウシカの中を通り過ぎた。

そしてその中で何かが、消えていた。

消え続けていた。

光の点が一つ、また一つと、ゆっくりと、だが確実に、暗闇に飲み込まれていく。まるで誰かが意図して吹き消しているかのように。

ナウシカは手を引こうとした。

引けなかった。

床が揺れた。

最初は微細な、生き物の息遣いのような振動だった。それが急速に大きくなった。松明が石壁から跳ね飛び、床に転がって炎を上げた。ナウシカは立ち上がろうとしたが、光が手首を引いている。いや、引いてはいない。ただ、光の方向に向かって何かが開こうとしている、その前兆として、空間そのものが歪み始めているのだった。

「行かなければいけない場所がある」とは思わなかった。

「行かなければいけない」とも思わなかった。

ただ、何かが始まった、とだけ、骨の芯で感じた。

床の中心部が割れた。

割れたのではない。開いた。

裂け目は幅一メートルほど、深さは見えない。そこから光が迸り出た。青白さとは異なる、金と白が混ざった光。温かみを持ちながら、同時に測定器が過負荷で停止するときのような、物理的な圧力を伴う光だった。ナウシカは光の中を覗き込んだ。

奥に何かが見えた。

星だ、と彼女は思った。

星が並んでいる。

距離の感覚が崩れる。あの光の点の一つ一つが本当に恒星なのか、それとも数千年前の爆発の残響なのかも、ナウシカには判断がつかない。だがその星の群れは確実にそこにあり、どこまでも続いており、彼女の知っているどんな空よりも、どんな腐海の夜よりも、広大だった。

後ろで何かが鳴った。

金色の音だった。

ナウシカは振り向いた。

部屋の入り口に、蟲がいた。

オウムだった。その殻は三メートルを超え、多眼が一斉にナウシカを捉えていた。だが蟲は動かない。ただそこにいて、その多眼を金色に、深く、深く光らせている。一匹だけではなかった。石段の上にも、壁の向こうにも、ナウシカには見えない場所から重なり合う息遣いが聞こえる。大きな群れが、この地下の入り口に集まっていた。

蟲たちが鳴いているのではなかった。

泣いていた。

ナウシカはそれを感じた。怒りや警戒ではなく、これは悲嘆だった。何かを失うことへの、あるいは失ったことへの、言語を持たない種族の哀しみが、金色の光の中に満ちていた。彼女はこれまで何度も蟲の感情を受け取ってきた。だが今夜のこれは、今までどんな接触とも異なる質を持っていた。これは過去形の感情だった。すでに決まったことへの悼みだった。

「行かないでほしいのね」とナウシカは言った。

蟲は答えない。ただ光る。

「でも行かなければならないのね」とナウシカは言った。

蟲の眼の金色が、一瞬、激しくなった。

それは否定ではなかった。

それは、ナウシカが見てきた中で最も悲しい「そうだ」だった。

裂け目が広がった。

音がした。風が止まった世界で初めて生まれた音で、それは風の音に似ていたが、風ではなかった。空間が折れる音だった。光が、ナウシカを包んだ。

彼女は落ちた。

上に向かって。

最後に残ったのは、金色の眼の光と、腐海の土と胞子の匂いと、松明の炎が石床で燃えながら誰もいない部屋を照らし続ける小さな橙色の光景だった。

そして静寂。

完全な、音のない、風のない、匂いのない、静寂。

ナウシカは暗闇の中を、星に向かって、落ちていった。

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