Chapter 1: The Analyst Who Should Not Exist

蛍光灯の白い光が、まず視界に入った。

目蓋の裏側から染み込んでくるような、不自然に均一な輝き。続いて冷気——空調の吐き出す乾いた風が首筋を撫で、次いで紙の匂い。印刷インクと綴じ紐と、誰かが先ほどまで飲んでいたコーヒーの残り香。

夜神月は目を開けた。

天井は白いコンクリートだった。蛍光灯が三列、等間隔に並んでいる。視野を水平に戻すと、金属製のテーブルと、その向こうに置かれた書類の束が見えた。A4用紙に印字された文字は中国語と英語の混在で、左上隅には「国際科学防衛機構」という文字が赤のスタンプで押されていた。その横に日付。

月は一瞬だけ、その数字を見つめた。

四肢を動かす。手が動く。足が動く。背もたれのある椅子に座らされており、拘束はない。これは拘禁ではなく、審問の準備段階だ。室内を一周する視線で、角に設置された小型カメラを二つ、扉の電子錠の型番、換気口の位置、そして壁に貼られた組織図の写しを把握した。

頭は動く。完全に動く。

それだけを確認して、月は呼吸を整えた。

——死んだはずだった。

ニアの手が届いた瞬間、世界は終わった。あの倉庫の床に崩れ落ちた感覚、力が四肢の先端から抜けていく感覚、それだけは覚えている。だが今ここで自分は椅子に座り、酸素を吸い、網膜に光の情報を受け取っている。シナプスは発火し、論理回路は稼働し、過去の記憶は一切の欠落なく残存している。

これは何だ。

月は感情を処理する前に、先に事実の分類を始めた。それが彼のやり方だった。感情は後でよい。まず状況を解析する。

テーブルの書類に「夜神亮」という名前が繰り返し印字されていた。漢字の読み方は「イエ・シェン・リャン」——中国語の発音体系に乗せた偽名だ。顔写真も添付されており、自分の顔が映っていたが、その下の生年月日と出身地は見たことのない情報だった。身分証明書の番号、学歴記録、過去三年分の職歴、健康診断の結果。どれも精巧に作られており、どれも月が経験した事実ではない。

誰かが、この世界に月を送り込むための受け皿を用意した。

あるいは月自身が、気づかないうちに用意していたのか。

死亡ノートはない。ポケットに触れた指先は布地しか感じなかった。リュークの声も、あの腐臭に似た気配もない。ルールブックも、羽ペンも、何もない。あるのは頭脳だけだ。

ドアが開いた。

入ってきたのは三十代後半の男で、灰色のスーツに機構のIDバッジを下げていた。ファイルを脇に抱え、歩き方に微細な疲労の兆候がある——左足の踵をわずかに引きずるように着地している。慢性的な腰痛か、あるいは先週末に過剰な時間を立ち仕事に費やした結果だ。顔の色は悪く、目の下に青みを帯びた影がある。睡眠不足は四十八時間以上に及ぶと推定される。つまり今この部屋にいる審問官は、極めて疲弊した状態にある。

「夜神亮さんですね」

男が中国語で言った。着席するより前に、まず確認の言葉から始める——マニュアル通りの手順だ。月は軽く頷いた。

「お体の具合は」

「問題ありません」

日本語で答えた。男は一瞬間を置いてから、英語に切り替えた。

「失礼しました。では英語でよろしいですか。私はPDC——惑星防衛評議会の人員審査部門から参りました陳と申します。本日は入職前の最終確認として」

月はその先を聞きながら、陳の指の動きを観察していた。書類をめくる手の角度。テーブルの上に置かれたファイルの整理順序。タブレット端末のロック画面が反射光の中に一瞬だけ見えた——パスコードではなく生体認証を使用しているが、画面の汚れのパターンから頻繁に使用する指紋の位置が特定できる。

これが一つ目の弱点だった。

人員審査部門がPDCとは別組織の外部発注で機能していること——陳のバッジの色と書類の発行元スタンプが微細に異なることから推測される——これが二つ目だった。

書類の束の右端、少し浮いたページ。そこに「照合未完了」と薄く打たれたスタンプが見えた。月の履歴書の一部が、まだどこかのデータベースと突合されていない。処理が間に合っていないのか、あるいは照合先のシステムに問題が生じているのか——いずれにせよ、この審問が完全な情報の上に立っていないことを意味する。

三つ目。

陳が最初の質問を口にし終わる前に、月はすでにこの三点を記憶の中の引き出しへ静かにしまい込んでいた。

「——PDCの分析部門への配属に当たり、いくつか確認させてください。まずご専門の分野について」

「戦略情報分析です」月は答えた。「特に非対称的な情報環境における意思決定の構造解析を」

陳が何かをタブレットに打ち込む。月は窓のない部屋の壁を、もう一度だけ視線でなぞった。

この世界に来て、まだ十分も経っていない。

だが月にはもう、自分がどこに立っているかがわかっていた。

三体——月はその単語を、陳の書類の一枚で確認していた。三つの太陽を持つ星系から飛来する、知性を持った文明。到達予測時刻まで、残り四百年弱。これは人類史上最大の外圧であり、地球上のすべての政治機構がその前に再編成されつつある段階だ。惑星防衛評議会は国連の上位機関として機能しており、PDC——そこに自分は「夜神亮」として潜入しようとしている。

いや、すでに潜入している。バッジはもう机の上にあった。陳が、審問と並行して発行済みの証明書を何気なく横へ押しやる仕草をしたからだ。これは「確認してから渡す」ではなく「渡すことが既定事項で、確認は形式に過ぎない」という組織の体質を示している。

月は手を伸ばし、バッジを取った。

「夜神亮、分析官」

プラスチックの冷たさが指先に伝わった。ラミネート加工された顔写真の中で、自分の目が月を見返している。表情は無機質で、感情の残滓がない——それは正しい。この世界で月が持つべき顔は、まさにこれだ。

陳がまだ何か話していた。組織の規則についての説明か、機密保持誓約書の案内か。月は適切な間隔で頷きながら、その声を情報と雑音に分類し、情報だけを抽出し続けた。

——死亡ノートはない。

それだけが、月の胸の奥で一度だけ、硬い音を立てた。

Lを追い詰めた道具。神の名を手に入れた礎。あの黒い表紙と、羽根ペンの感触と、名前を書き込む瞬間の静謐な全能感——それらはすべて、この世界には存在しない。

しかし。

月は窓のない部屋の空気を、静かに吸い込んだ。

道具がなければ、頭脳だけで戦う。それだけのことだ。かつてLと丸腰で演じたあの心理の応酬を、月は忘れていない。あの頃ですら、ノートなしで世界の裏側を読み解いていた。今は相手が一つの国家でも一つの天才でもなく、宇宙規模の文明だというだけだ。

スケールが変わっても、論理の構造は変わらない。

「最後に一点だけ」

陳が書類をまとめながら言った。月は視線を戻した。

「あなたのプロフィールに、前職の照合が一部保留になっている箇所があります。通常なら入職を数日待ってもらうところですが、上からの指示で本日中に配属を完了するようにと言われていますので、ご了承ください。追って確認が取れ次第、補完します」

「承知しました」

月は言った。声に何の感情も乗せなかった。

陳が立ち上がり、手を差し伸べた。握手だ。月はその手を握った。陳の掌は乾いていた。疲労と緊張と、わずかな安堵——仕事を終えた人間の手の温度だ。

扉が開いた。廊下に出ると、蛍光灯の列が果てなく続いていた。壁には所々に掲示物が貼られ、その一枚に「第二次宇宙艦隊建造計画——進捗報告」と記されていた。人類は戦争の準備をしている。四百年後の敵に向かって、今から槍を研いでいる。

月はバッジを胸ポケットに入れた。

廊下を歩きながら、三つの弱点と、そこから派生する七つの可能性と、優先順位の高い最初の手を、頭の中で静かに並べ直した。

誰も気づいていない。

陳は書類を抱えて別の廊下へ消えた。すれ違った職員たちは月を一瞥もしなかった。監視カメラは回り続けているが、監視する側の人間はモニターの前で何十台もの映像を同時に処理しており、一人の新入り分析官に割ける注意など存在しない。

月は歩き続けた。

この世界に生まれ直した理由など、今は考えない。目的は一つだ。この宇宙で文明の生死を裁く者は、ただ一人でなければならない。暗黒森林——この宇宙のすべての知性体が互いを脅威と見なし、先制攻撃によって沈黙を保つ、その冷酷な論理の中心に立つ者。

審判者。

宇宙の尺度における、唯一の意志。

月は廊下の突き当たりに設けられた「分析部門」と書かれた扉の前で立ち止まった。ドアノブに手をかける前に、一秒だけ目を閉じた。

蛍光灯の光が、瞼の裏に白く滲んだ。

神は存在する、と月はかつて確信していた。

今もその確信は変わらない。

ただし今度は、自分が何をすべきかをより正確に知っている。

ドアを開けた。

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Chapter 1: The Analyst Who Should Not Exist — 暗黒審判:死の帳簿と三体の星 | GenNovel