Chapter 1: The Button That Ate the Problem

午後三時四十分。ノビオの財布は空になった。

校門を出てすぐの細い路地、ブロック塀の影にジャイアンが立っていた。腕を組み、頭一つ分高い場所から見下ろす角度で。その目は計算でも怒りでもなく、ただの重力のように、ノビオに向いていた。

「持ってんだろ」

ノビオは持っていた。今日の昼に使わなかった三百円が、右のポケットの底で温くなっていた。

渡すまで十秒かからなかった。

ジャイアンは受け取り、何も言わず、路地の奥へ消えた。ノビオは空のポケットに手を突っ込んだまま、しばらく動けなかった。コンクリートの匂い、秋の始まりの、少し焦げたような夕方の空気。遠くで自転車のベルが鳴った。

家への道を歩きながら、ノビオはいつものことをいつものように考えた。明日は別の道を通ろう。でも別の道はない。言い返せばよかった。でも言葉は出てこない。お母さんに言おう。でも言えば明日が更に面倒になる。

問題は、問題が多すぎることではなかった。問題は、どれひとつ解決できないことだった。

その夜、机の引き出しが開いた。

ノビオは宿題のプリントを探していたので、最初は気づかなかった。引き出しの中に手を入れたとき、指が何か硬いものに触れた。プラスチックの感触、ひんやりとした表面、ボタンひとつぶんのサイズ。

取り出すと、それは缶詰ほどの大きさの白い装置だった。上面に大きな赤いボタン。それだけだった。説明書も名前の表示も、メーカーのロゴさえもない。

「なんでも解決ボタン、です」

声がした。

引き出しの奥から、ロボットが出てきた。

正確には、引き出しよりも明らかに大きいのに、引き出しの中に収まっていた。身長はノビオと同じくらい、外見は少し古びた型の玩具めいていた。青い外装、丸い頭、胸に小さなパネル。肩から、信じられないほど深い黒色をしたカバンをかけていた。

「ドタQと申します。二十二世紀の未来福祉局より派遣されました。あなたの生活改善を担当します」

「……おれの?」

「登録番号ノビオ。現在の改善余地スコア、九十四点。対象者の中で最上位です」

最上位、という言葉がノビオの胸のどこかに引っかかったが、それが誉め言葉でないことはすぐに分かった。

ドタQは胸のパネルから薄い書類を取り出した。取扱説明書、と書いてあった。

「なんでも解決ボタン。使用方法——対象となる問題を明確に念じながら、ボタンを一度押してください。問題は解消されます。副作用の報告はありません」

「どんな問題でも?」

「どんな問題でも」

ノビオはボタンを見た。赤い。単純だ。世界でいちばん分かりやすい形をしている。

「試してみます」

ノビオはジャイアンのことを念じた。今日の路地を、空のポケットを、重力みたいな目線を。

ボタンを押した。

音はしなかった。

翌朝、ジャイアンはノビオを見なかった。

廊下ですれ違ったとき、ジャイアンの視線はノビオの三センチ右を通過した。昨日のことを覚えていない目だった。三百円もランドセルの外ポケットに戻っていた。ノビオは三度確認してから教室に入った。

スネコが窓際の席で漢字ドリルをやっていた。朝の光の中で、消しゴムのカスを指で集めて机の端に追いやりながら、特に何も考えていない顔をしていた。ノビオのことも、ジャイアンのことも、路地のことも、何も知らない顔で。

ノビオはボタンをポケットに入れたまま、自分の席に座った。今日は、なんとなく、うまくいきそうな気がした。

火曜日に押した。算数の小テストで間違えた問題が、翌朝の返却時に正解になっていた。

水曜日に二回押した。給食のゼリーを横から取られたことと、上靴に誰かの泥がついていたことを解決した。

木曜日に押した。理由はよく覚えていない。朝礼で先生に名前を間違えて呼ばれたことだったかもしれない。

金曜日までに、ノビオはボタンを十一回押していた。

十一の問題が消えた。十一の朝が、昨日のことなど何もなかったように始まった。

それはとても快適だった。

月曜日の朝、ノビオは登校しながらボタンを握っていた。

まだ何も起きていなかった。校門も見えていなかった。ジャイアンの姿も、テストも、給食も、失敗も、全部まだ存在していなかった。

それでもノビオは、何かが起きる前に、ボタンの感触を確かめずにはいられなかった。

赤くて、硬くて、温かくなっていた。

ドタQはその夜、胸のパネルを開いてログを更新した。「ボタン使用回数、十一。問題解消率、百パーセント。初期段階の成果として良好」と記録した。

それから少し止まって、こう付け加えた。「ボタンの残量表示機能、非搭載」

そこで記述を終えた。

ボタンにはインジケーターランプがない。残量を知る方法はない。そもそも最初から何かが入っていたかどうかを確かめる方法も、ない。

Like this novel?

Create your own AI-powered novel for free

Get Started Free