Chapter 1: The Prodigy Who Buried His Own Name

入学式の朝、桜木花道は誰よりも早く校門をくぐった。

制服の第一ボタンをきちんと留め、新品の革靴が砂利を踏む音を聞きながら、彼は湘北高校の敷地を静かに見渡した。桜の木が二列に並んでいた。白い校舎。錆びかけた自転車置き場。どこにでもある風景だった。それでいい、と花道は思った。どこにでもある、でいい。

受付の列に並んだとき、後ろで誰かが小声でささやく声が聞こえた。あの子、背高くない?バスケ部来てほしいな。花道は表情を変えなかった。変え方を、もうずっと前から知っていた。

「桜木花道くん、ですか」

受付テーブルに座っていた初老の男性教員が、名簿から顔を上げた。眼鏡の奥の目が、一瞬だけ細くなった。その細り方に、花道は見覚えがあった。

「はい」

「どこかの中学でバスケを——」

「していません」

嘘だった。しかし花道の声には何の揺らぎもなく、その滑らかさが逆に完璧な嘘の形をしていた。教員は口を半開きにしたまま、何かを言いかけ、そして名簿に目を戻した。

「……そうですか。では、教室は三年棟の隣の——いや、失礼。一年A組です」

「ありがとうございます」

花道は書類を受け取り、列を外れた。

心臓は、平静だった。呼吸も、乱れていなかった。三年間で身につけた技術のひとつだった。感情を内側に折りたたんで、表面には何も残さない。MVPのトロフィーは実家に置いてきた。新聞の切り抜きは捨てた。中学のユニフォームも、手放した。それらを持ち込んでも、ここでは重荷にしかならない。荷物を少なくして来たかった。そういう入学だった。

入学式は長く、花道は壇上の来賓たちの言葉を右耳から左耳へ通り抜けさせながら、体育館の天井を見ていた。古い木造の梁。すすけた照明。天窓から差し込む春の光が、埃の粒子を金色に染めていた。

バスケットゴールが、両端の壁に折りたたまれて収まっていた。

使用禁止のプレートが貼られているにもかかわらず、花道の目は勝手にそこへ引き寄せられた。リングの直径は四十五センチ。ボールの直径はおよそ二十四センチ。余裕は、両側合わせて二十センチほどしかない。それほど小さな穴を、人間は何千回も何万回も繰り返し狙う。馬鹿げている、と思ったことは一度もなかった。

来賓の挨拶が終わった。校歌を歌った。全員で起立し、礼をした。

花道は、誰とも目を合わせなかった。

午後のホームルームが終わると、クラスメートたちは部活の見学や仮入部の話で廊下がにぎやかになった。花道は鞄を持ち、ひとり体育館の方へ歩いた。見学する気持ちは、本当はなかった。ただ、足がそちらへ向かった。

体育館の引き戸は開いていた。

その隙間から、音が聞こえた。

バッシュが床を蹴る音。ボールがリングに当たって跳ね返る音。そして、息の音。一定のリズムで、揺るがず、続いている。

花道は引き戸に手をかけ、少しだけ開けた。

男が一人、ゴール下にいた。

背が高かった。花道とほぼ同じか、わずかに上か。しかし目を引いたのは身長ではなく、その動きだった。男はポストの位置でボールを受ける動作を繰り返していた。誰もパスを出していないのに、男は一人でステップを踏み、ターン、フック、シュート、リバウンド。また同じ位置に戻る。ターン、フック、シュート、リバウンド。止まらない。乱れない。汗が顎から滴り落ちて床の一点を濡らしていくのが、扉の隙間からでも見えた。

花道は、動けなかった。

見たことのある動きだった。正確に言えば、感覚として知っていた。あの集中の質を。外側からの目線を一切排除して、ただ自分の体と、ボールと、リングだけを相手にしているときの、あの純粋さを。

三年間で見てきたチームメートの誰も、あの顔をしていなかった。

男が振り返った。

目が合った。

男は表情を変えなかった。花道の存在を確認し、値踏みし、必要な情報かどうか判断し、そして不必要と結論づけた。それだけの時間が、一秒もかからず過ぎた。男は花道から視線を外し、またボールを拾い、ポジションに戻った。

ターン。フック。シュート。

リバウンドは綺麗にネットをくぐり抜けた。

花道は引き戸の前に立ったまま、その背中を見ていた。胸の中に、奇妙な感覚があった。苛立ちではなかった。羨みでもなかった。どちらかといえば、それは昔なじみの感触に近かった。自分の中にずっとあって、しかし長い間、誰かと共鳴したことのないもの。

「見学か」

野太い声だった。

花道が視線を向けると、男の少し後ろ、ゴールに背を向けて立っていた別の人物が腕を組んでいた。先ほどまでそこにいたのか、それとも今来たのか、気づかなかった。体つきは練習中の男よりもさらに大きく、腕の筋肉がジャージの布を押し広げていた。顔には、新入生への社交辞令の薄膜さえ貼られていなかった。

「部員でないなら入るな」

「見てただけです」

「だから言っている。邪魔だ」

花道は返事をしなかった。しかし引き戸から手を離さなかった。

男が、一歩こちらへ踏み出した。

「入部希望なら書類がある。事務室へ行け。それ以外の理由でここに立っているなら」

「入ります」

花道は言った。

声は静かだった。怒りでも、反発でもなかった。彼自身、なぜその言葉が出たか、出た瞬間には説明できなかった。ただ出た。

男は眉を動かした。ほんの少しだけ。それが、この男にとっての驚きの表現らしかった。

「名前」

「桜木花道」

「赤木剛憲だ。このチームのキャプテンだ」と男は言った。「経験は」

「関係ありますか」

沈黙が落ちた。体育館の中に、バッシュの音だけが続いていた。練習中の男は会話を無視して動き続けていた。

赤木は花道を見ていた。その目は、花道が今まで受けてきた視線とは質が違った。過去の記録を探すような目ではなかった。値段を見積もるような目でもなかった。ただ今、この瞬間に立っている人間を測る目だった。

それが、花道の胸の奥で何かに触れた。

「書類は事務室の掲示板の横だ」と赤木は言った。「明日の朝までに提出しろ」

踵を返し、コートの中心へ戻っていった。

花道は引き戸を静かに閉めた。

事務室の前の掲示板には、クラブ活動の仮入部申込書がずらりと並んでいた。テニス部、サッカー部、吹奏楽部、美術部。花道は掲示板の前に立ち、しばらく動かなかった。

廊下を行き交う生徒たちが、彼の横を通り過ぎた。誰も話しかけなかった。

バスケットボール部の申込書は、一番端にあった。

花道は用紙を一枚取った。廊下の窓枠に書類を置き、ペンを走らせた。学籍番号。氏名。クラス。経験の有無を問う欄に一瞬だけ止まり、「なし」と書いた。

ペンを置いた。

窓の外では、桜の花びらが一枚、校庭の風に運ばれていた。あと数日もすれば、すっかり散ってしまうだろう。散ってしまえば、誰も木の名前など気にしない。ただの木になる。

花道は書類を持ち、事務室へ向かった。

なぜ入部するのか、と自分に問えば、答えはうまく言葉にならなかった。赤木剛憲の目のことを、考えた。あの男が今この瞬間に向ける目のことを。過去ではなく、今を見る目のことを。

それだけで、十分なような気がした。

少なくとも今日は、それだけで。

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Chapter 1: The Prodigy Who Buried His Own Name — 逆転のコート――天才の孤独 | GenNovel