吾輩は名前を持たない。
正確に言えば、持っていた。昨日までは確かに持っていた。霧島汐音という、さほど珍しくもなく、さりとて平凡すぎるとも言えぬ、適度な重量感を備えた名前を。しかし今この瞬間、吾輩の手元に残されているのは「汐」という一字のみであり、残りの半分は今頃この湯屋のどこかの帳簿に、几帳面な筆跡で記入されていることと思われる。
まず状況を説明せねばなるまい。
その夜、霧は異常であった。
十月の霧というものは大抵、地を這い、街灯の光を白く滲ませ、傘の要否について人を逡巡させる程度のものである。しかし吾輩が塾帰りに踏み込んだあの霧は、性質が根本的に異なっていた。濃い、というより深かった。地面と空の区別を曖昧にし、見知った商店街の輪郭を静かに溶かし、吾輩の鼻腔に硫黄とも木の香りともつかぬ奇妙な温気を送り込んできた。
引き返そうとした時には、もう引き返す方角が存在しなかった。
霧の中を歩くこと、どれほどであったか。足の裏の感触が、アスファルトから砂利へ、砂利から石畳へと変化していく過程を、吾輩はぼんやりと感じ取っていた。やがて石畳は橋になり、橋の欄干には赤い紐が巻かれており、欄干の向こうには川ではなく暗い谷が広がっていた。橋を渡りきると、そこに千霧楼があった。
あったというより、あり続けていた、という方が正確かもしれない。建物の佇まいは、昨日今日建てられたものの軽さを一切持っておらず、むしろ自分が先にここにあり、世界の方があとからできたのだと主張するような、根拠のない古さを纏っていた。五層か六層か判然としない楼閣は、夜霧の中に無数の赤い燈籠を灯し、その光の下に暖簾がひとつ、風もないのにゆらりと揺れていた。
湯屋、と吾輩は思った。
温泉か何かだろうか、とも思った。
しかし引き返す道はなく、足は既に暖簾をくぐっていた。
中は広かった。広い、という言葉が似合わぬほど広かった。吹き抜けのロビーには幾層もの廊下が重なり、そこをさまざまな姿の者たちが行き来していた。吾輩はその「さまざまな姿」という点において、若干の記述的困難を覚える。なぜなら彼らは、人間ではなかったからである。人間に近いものはいたし、かつて人間であったかもしれないものもいたが、全体として眺めるとそれは明らかに人間の集団ではなく、むしろ人間という概念を様々な方向へ拡張または圧縮した存在の集まりであった。
吾輩が入り口で呆然としていると、ひとりの女が現れた。
現れた、というより降臨した、という方がこの場合語感として適切である。
「何をぼんやり突っ立っているんだい」
声は大きく、しかし散漫ではなかった。力が端から端まで均一に詰まった声で、その声だけで部屋の温度が一度下がるような気がした。吾輩が声の出所を探して視線を上げると、階段の中程に人影があった。小柄、というのが第一印象であった。しかし小柄という言葉が与える印象、すなわち繊細とか軽やかとかいった諸属性は、この人物には何一つ当てはまらなかった。彼女は小柄でありながら巨大であり、老いていながら圧倒的に現役であり、絢爛たる着物を纏いながらも装飾の匂いを一切発散していなかった。
頭部のみが著しく発達しており、その大きさは胴体との比率においてかなりの逸脱を示していたが、吾輩がその点を奇異に感じる余裕を持てたのはほんの一瞬のことで、彼女の眼光に捕捉された瞬間、他のすべての観察は停止した。
「湯婆婆様でございます」と、そばに控えていた青白い顔の女が小声で言った。
湯婆婆は階段を下りながら吾輩を検分した。ちょうど魚市場で仕入れを考える料理人が魚を眺めるような視線であった。吾輩は自分が評定されていることを明確に感じ、同時に、その評定の結果が既に出ていることも感じた。
「あんた、人間だね」
「はい」
「なんでここに来た」
「霧の中で道を失いました」
「ふん」と湯婆婆は言った。「道を失う人間はここへ来る。ここへ来た人間は働く。これは規則だよ」
かくして交渉は、吾輩が交渉と認識する前に終結した。
湯婆婆の部屋は最上階にあった。案内されて入ると、そこは別の意味で広かった。先ほどのロビーの広さが建築的な広さであるとすれば、この部屋の広さは意志の広さとでも言うべきもので、湯婆婆という存在が空間を自分の延長として所有しているような感覚があった。部屋の奥には大きな机があり、その上に帳簿が積まれ、毛筆が並び、朱肉の香りが薄く漂っていた。
奥の一角から、重い物が動く気配がした。
「坊主が起きているね」と湯婆婆は言い、声の質がわずかに変わった。
変わった、というのは柔らかくなった、ということである。先ほどまでの声にあった鋼鉄的な均質性が崩れ、そこに何か不均一なもの、人間的と言ってもいいかもしれない温度が混入した。吾輩はその変化を興味深く観察した。権力というものが最も無防備になる瞬間は、愛情を示す瞬間である。これは後で反芻するに値する観察であった。
しかし今は反芻の時ではなかった。
湯婆婆は机の前に座り、帳簿を開いた。
「名前は」
「霧島汐音です」
湯婆婆の指が動いた。朱の筆を取り、吾輩の名前を書き始めた。書き終えると、その紙をゆっくりと半分に折り、折り目から丁寧に切り取った。作業の所作は鮮やかで、慣れていた。
「今日からお前の名前は汐だ」
と湯婆婆は言い、切り取った半分を引き出しの奥に仕舞った。
「残りは?」
吾輩は思わず問うた。思わず、というのは適切な表現ではないかもしれない。冷静に問うた、というのが正確である。ただ冷静すぎて、かえって思わず発した言葉のように聞こえた可能性はある。
「担保だよ」と湯婆婆は言った。「お前が真面目に働く保証として、ここに預かっておく。きちんと働いて、いつか自分で名前を取り返す方法を見つけたなら、返してやらないこともない」
論理の骨格は把握できた。しかし骨格の美しさは、その論理が自分に適用される場合、若干の説得力を失う。
「ここでの仕事は?」
「湯女だよ。お客様のお世話をする」
「着替えは?」
「廊下に置いてある」
「いつから?」
「今夜から」
かくして吾輩の雇用は成立した。契約書へのサインはなかった。名前の半分が既にサインの代わりであった、と後になって気づいた。気づいた時には、その鮮やかさに対して一種の敬意すら覚えた。敬意、というのは納得や賛成とは異なる。それは相手の技量を認める行為であり、自分がその技量によって見事に嵌められたことを認める行為でもある。
廊下で着替えを受け取り、吾輩は袖を通した。
紺色の着物に白い前掛け。自分で選んだものではない。しかし着てみると、さほど違和感もなかった。これが危険なことであると吾輩はすぐに気づいた。違和感のない制服というものは、着用者から内側の輪郭を奪う最初の段階に過ぎない。
廊下の手すりに肘をつき、吾輩はしばらく下を眺めた。
千霧楼のロビーには相変わらず、人ならぬものたちが行き交っていた。厨房からは食べ物の匂いが上がってきた。湯の香りが柱に沁み込んでいた。遠くで太鼓のような音がした。灯籠の光は橙色で、霧の外の夜より確かに明るく、確かに暖かかった。
吾輩は「霧島汐音」という名前について考えた。
それは今、引き出しの奥に折り畳まれて眠っている。名前が眠る、というのは奇妙な表現であるが、名前が引き出しに仕舞われる、というのも十分に奇妙な事態であるから、表現の奇妙さについてはこの際不問に付そうと思う。
問題は形而上学的である。
名前の半分を失った存在は、半分の存在なのか。それとも全体の存在が、より小さな名前によって呼ばれるようになっただけなのか。後者だとすれば、名前というものは存在の縮図ではなく、存在への呼びかけに過ぎない。前者だとすれば、吾輩は今この瞬間から、欠損を内包した存在として千霧楼を歩き回ることになる。
いずれが正しいか、今夜の段階では判断できない。
しかし判断できないこと自体は、吾輩にとってさほど苦痛ではなかった。判断できない問いというものは、考え続けることができる問いでもあるからだ。考え続けることができるということは、問いが生きているということであり、問いが生きているということは、問いを持つ者もまだ生きているということではないか。
この推論に穴があることは吾輩も承知している。
しかし今夜のところは、この穴から目を逸らしておくことにする。
「あんた、汐」
声がした。先ほどの青白い顔の女が、廊下の向こうから手招きしていた。
「仕事の説明をするよ。ぼうっとしてないで来な」
吾輩は手すりから肘を離し、廊下を歩き始めた。
足の裏に、石の冷たさがあった。湯の匂いがより濃くなった。どこかで客が笑い、それに応える声があり、また遠くで太鼓が鳴った。
吾輩は湯女である。
望んでそうなったわけではないが、望んでいなかったことを理由に現状を否定するほど、吾輩は単純ではない。ソクラテスが毒杯を自ら持ったように、吾輩もまた、自分に与えられた状況をとりあえず自分の両手で持ってみることにした。
毒かどうかは、飲んでから考えればよい。