桃の花が散っていた。
風はなかった。それでも白い花弁が、まるで意志を持つかのようにひとひらずつ舞い落ち、踏み固められた土の上に積もっていった。その庭の片隅で、劉玄徳は俯いたまま、しばらく動かなかった。
三月の涿郡。空は白濁し、遠くで何かが燃えているらしく、西の空が微かに赤く滲んでいた。
「兄者」
背後から声がした。太く、粗削りで、石でも砕けそうな声だった。振り返ると、張益徳が立っていた。二十歳に届くかどうかという年齢のくせに、その体躯は壮年の将に勝るとも劣らなかった。眉は太く、眼は炯々として、獣のような活力が全身から滲み出ている。その男が、少しばかり困惑したような顔をして桃の木を見上げていた。
「盟いを立てるのに、なにも庭でなくともよいのではないか」
「いや」
劉備は言った。
「ここがいい」
それだけ言って、また黙った。張飛は何か言いかけたが、口を噤んだ。この男が「ここがいい」と言うときは、理屈ではなく何か別のものが動いている。長い付き合いではないが、それくらいは分かった。
桃の木は、この屋敷の前の持ち主が植えたものだという。樹齢は定かでない。幹は腰ほどの太さで、灰色の樹皮に細かな皺が刻まれ、枝は四方に伸びて今まさに盛りの花をつけていた。白い、清潔な花だった。こんな時代には似つかわしくない、と劉備は思った。あるいは思わなかったかもしれない。
漢が終わりつつある、ということは、この年の春、誰もが知っていた。
ただし「漢が終わりつつある」という認識は、人によって意味が違った。洛陽の官僚にとっては、それは書類仕事の増加と賄賂の高騰を意味した。国境近くの農民にとっては、税と飢えと匪賊の跋扈を意味した。そして黄色い頭巾を巻いた男たちにとっては、新しい天地の夜明けを意味した。
張角という男がいた。太平道の教祖を名乗り、病人に呪水を飲ませ、奇跡を売り歩いた男だ。その弟子の数は、気がつけば数十万に膨れ上がっていた。人は絶望するとき、奇跡に縋る。そしてこの時代の人間の大半は、深々と絶望していた。
建寧元年から数えて十余年、漢の宮廷は宦官と外戚の権力闘争で腐り果てていた。地方の刺史は私腹を肥やし、民は収穫の半分を税として召し上げられ、旱魃と洪水が年ごとに交互に襲いかかった。張角が現れたのは、そういう土壌の上だった。
中平元年の春、黄巾の乱が起きた。
三十六の方、三十六万の信徒が一斉に봉기した。「蒼天已死、黄天当立(蒼天はすでに死し、黄天まさに立つべし)」——彼らは額に黄色い布を巻いて叫んだ。その叫びは、失うものを失い尽くした者の叫びであり、だからこそ王朝の軍隊が鎮圧に手こずった。武器を持った絶望ほど、厄介なものはない。
劉玄徳は、そのような乱世に育った。
もっとも、「育った」という言葉では少しく穏やかすぎる。彼は乱世に揉まれ、削られ、それでも何か核のようなものを失わなかった、と言うべきかもしれない。
彼の家系について、当人は漢の景帝の末裔だと言った。中山靖王劉勝の子孫、と。
これが事実かどうか、今となっては確かめる術がない。漢の皇族の末裔を称する者は、この時代にそれなりの数いた。景帝から百余年、代を重ねれば子孫の数は万を超える。族譜が正確に管理されていたとは言いがたく、貧しい分家となれば尚のことだ。
ただ、劉備という男の不思議なところは、その血筋の話を聞いた者のほとんどが、嘘だとは思わなかった、という点にある。彼には、そういう空気があった。根拠ではなく、説得力があった。
実際の彼は、母親と二人、涿郡の外れで草履と莚を売って生計を立てていた。父は早くに死に、田畑を耕すには金が足りず、手を動かして作れるものを作り、それを担いで市に売りに行く、そういう暮らしをしていた。背は高く、耳朶が大きく垂れ、腕が膝まで届くほど長かった。その風貌を見た者は、往々にして何かを感じた。草履売りには見えない、と。しかし草履売りに見えない草履売りが、実際に草履を売っているのだから、人の印象というものは当てにならない。
彼が兵を挙げようと決めた動機については、諸説ある。
義憤か。窮地に立たされた漢室への忠誠か。あるいは単純な立身の欲か。
おそらく、本人にも分からなかっただろう。
人は自分の動機を、後から意味付けする生き物だ。劉備が「仁」を掲げたのは、それが彼の信念だったからかもしれないし、あるいはそれが最も多くの人間を惹きつける旗印だったからかもしれない。その二つは、矛盾しない。彼自身のなかで、どこまでが誠実でどこからが計算なのか、あるいはその区別自体が無意味だったのか——それが劉玄徳という男を、四百年の後にも語り継がれる存在にしている。
涿郡の義勇軍に加わったのは、その春のことだった。
黄巾の討伐令が各地に回り、義侠の士を募るという触れが出た。劉備は屋敷の壁に貼られたその紙を読み、長い間そこに立っていた。何を考えていたのかは分からない。ただ、その場を離れるとき、彼の足取りには何か変わったものがあった、と後に傍らにいた者が語っている。
義勇軍の集合場所に向かう道で、彼は一人の男と出会った。
関羽雲長。
この男の名前を聞いて、後世の読者のほとんどは一つの像を思い浮かべるだろう——長い髭、赤ら顔、偃月刀、そして神格化された義の化身。しかし劉備が涿郡の埃っぽい道端で会ったのは、そういう象徴ではなく、一人の逃亡者だった。
関羽は河東の出身だという。故郷で何があったのかは、彼自身が多くを語らなかった。ただ、権勢家の横暴に義憤を覚え、その男を斬った、とだけ言った。それで故郷を捨て、各地を流れてきた。
背丈は九尺に近く、顎には長い濃い髭を蓄えていた。目は細く、しかし何かを見るときの眼差しは、すでに刃物のような鋭さがあった。動作は静かで、無駄がなかった。どこか遠くを見ているような眼をしていた。
劉備は彼と半刻ほど立ち話をして、一緒に行こうと言った。関羽は少し間を置いてから、頷いた。
義勇軍の集合場所で、張飛がいた。
張益徳。涿郡の地元の人間で、屠殺と酒の商いをしている家の倅だった。財はあったが、この男は金には執着せず、むしろ戦いと義侠の話を聞くと目を輝かせた。劉備と関羽が来たとき、張飛はすでに酒を飲んでいた。飲んでいたが、酔っていなかった。
三人が言葉を交わしたのは、ほんの短い時間だった。
しかしその短い時間に、何か電流のようなものが流れた。
劉備はそれを感じた。確かに感じた。人が人に出会うとき、稀に、理由もなく「この男だ」と思う瞬間がある。才覚や名声ではなく、もっと原始的な何か——たとえば戦場で背中を任せられるかどうか、あるいは死を共にするとき悔いがないかどうか、そういうことを一瞬で測る本能のようなものが人間にはあって、劉備のそれは、この二人に対して同時に働いた。
だから彼は、その夜、張飛の屋敷の庭に二人を招いた。
桃が咲いている。酒がある。天が揺れている。
それだけあれば十分だ、と劉備は思った。
香は用意した。線香の煙が細く、白く、花の間を昇っていった。酒の匂いと桃の香りが混じり合い、土の湿った匂いが鼻を打った。遠くで犬が吠え、それから静かになった。
三人は桃の木の前に膝をついた。
土は冷たかった。石畳ではなく、踏み固められた黒土で、劉備の膝から冷えが這い上がってきた。頭上で白い花弁がひとひら落ち、彼の肩に触れて、滑り落ちた。
劉備が口を開いた。
「漢室傾き、賊臣権を窃む」
声は静かだった。演説ではなかった。ただ言葉を置くように言った。
「我ら三人、姓は異なれど、心を同じくして兄弟の契りを結び、力を合わせて上は国家に報い、下は黎庶を安んじんことを誓う。同年同月同日に生まれることを求めず、ただ同年同月同日に死せんことを願う」
関羽の呼吸が、隣で静かに整うのを劉備は感じた。
「義に背き恩を忘れるなら、天地人神がともにこれを誅せん」
誓いの言葉が庭に広がり、そして消えた。
沈黙があった。
犬も吠えなかった。風も来なかった。
張飛が、低く短く、何かを唸った。それは同意だったかもしれないし、感動だったかもしれないし、あるいは単に胡坐では膝が痛いということだったかもしれない。
三人は立ち上がり、酒椀を手にした。花弁が風もないのに舞い、椀の中の酒の上に浮かんだ。劉備は飲んだ。酒は荒く、酸味があった。喉を焼くような安酒だった。しかしその瞬間は、彼の生涯を通じて最も温かい瞬間のひとつとして刻まれることになる。
あとになって考えれば、この誓いの何が奇妙だったかは明らかだ。
三人には軍がなかった。旗もなかった。金もほとんどなかった。守るべき領土もなく、臣下もなく、兵糧を保管する蔵もなかった。あるのは三人の体と、それぞれが手にできるだけの武器と、そして今しがた口から出した言葉だけだった。
その言葉の重さを、三人はどこまで理解していたか。
「同年同月同日に死せんことを願う」——これは誓いではなく予言に近い。なぜなら乱世で志を同じくして戦えば、先に死んだ者が出るのは時間の問題だからだ。誰が先に逝くのか。誰が生き残るのか。その非対称が、後に残された者の心にどんな傷を刻むのか。
劉備は考えなかっただろう。少なくとも、その夜は。
桃の花が、また一枚落ちた。
彼は今、草履売りだ。腕には莚を編んだ皸(あかぎれ)の痕がある。着ているのは粗末な布衣で、この庭の桃の木より彼の方が、よほど時代の風雨に晒されている。
しかし、この男の目の奥に灯っているものが、何であるかは分からない。
野心か。義か。あるいはその二つが分かちがたく絡まった、もっと複雑な何かか。
問い続けなければならない。なぜなら劉備という男は、自分自身への問いに答えを出すことなく、生涯を終えることになるからだ。
そして答えが出なかったこと、それ自体が、あるいは彼の誠実さの証だったのかもしれない。
桃の木は何も言わない。
白い花が散る。
乱世は、始まったばかりだった。