Chapter 1: The Sandal-Weaver of Zhuo Commandery

春の終わりであった。

幽州・涿郡の街道を、一頭の驢馬が埃を蹴立てながら歩いていた。荷を積んでいるわけでもなく、人を乗せているわけでもない。手綱を引く男が、黙々と砂礫を踏みしめながら歩いていた。草鞋を編んだ手でその荒縄を握り、乾いた唇を一文字に閉じていた。

男の名を劉備といった。

年は二十三。身の丈は七尺余り、二の腕は膝に届くほど長く、顔立ちには南方の血が混じったような柔らかさがある。しかしその目だけは、周囲の景色とわずかに釣り合わない光を持っていた。涿郡の春の枯れ草、腐りかけた板塀、痩せた驢馬——そうした平凡な貧困の只中にあって、その目だけが、どこか別の場所を見ていた。

草鞋と蓆を売って生きていた。漢室の末裔などというものは、後漢の世において掃いて捨てるほどいる。景帝の血を引くとされる家系の末端、いわば王朝の枝葉の、さらに枯れた細枝の先端に当たる男が、砂埃の街道で獣の手綱を引いている。それが劉玄徳の日常であった。

母がいた。老いていたが、矍鑠としていた。その母が幼い劉備に繰り返し言い聞かせたことがある。お前の曽祖父は中山靖王だと。漢の正統な血筋だと。だがその言葉は、貧乏な藁ぶき屋根の下で言われるとき、まるで古い夢の残滓のように聞こえた。中山靖王の子孫は全国に数万人いると言われ、そのほとんどが劉備と同じく、王朝の恩寵とは無縁の場所で生きていた。

血筋とは何か。

少なくとも涿郡においては、草鞋一足の値打ちもなかった。

――

その日、劉備が街の外れまで戻ってきたとき、人だかりができていた。

十数人の男たちが、郡の役所の前に立てられた一枚の布告を取り囲んでいた。文字が読める者は少なく、識字の男が声に出して読み上げていた。声は掠れており、読む者自身も内容の重さに戸惑っているようだった。

劉備は驢馬を繋ぎ、人垣の隙間に体を割り込ませた。

布告は簡潔だった。

太平道の賊、各地に蜂起す。冀州・潁川・南陽においてすでに官兵これを防ぎかね、賊勢益々盛んなり。涿郡においても義勇の士を募り、賊徒の討伐に当たらしむ。応募の者は郡衙に参じよ――。

劉備は二度、その文面を読んだ。

周囲の男たちは口々に呻き声を上げた。太平道の名はすでに涿郡にも届いていた。張角という男が率いる宗教的な反乱組織で、黄色い頭巾を目印にすることから黄巾賊と呼ばれていた。彼らが掲げる教義の細部を知る者は少なかったが、その勢いが尋常でないことは誰でも知っていた。一年以内に漢の十三州のうち八州を揺さぶり、信者の数は数十万とも百万とも言われていた。

なぜそれほど広がったのか。

答えは、涿郡の街の景色を見れば分かった。

痩せた土地、重い租税、霜害と旱魃が交互に訪れる数年、そして腐敗しきった役人たち。後漢という帝国は、その外皮はまだ「漢」の名を保っていたが、内側はとうに空洞になっていた。都・洛陽の朝廷では宦官と外戚が権力を喰い合い、地方では豪族が土地を囲い込み、流民が溢れた。張角が「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」と叫んだとき、その言葉は教義ではなく、腹を空かせた民の溜息が形を成したものだった。

劉備はしばらく動かなかった。

布告の前に立ち、周囲が散り始めてもそこに残っていた。

この男が何を考えていたか、史書は記さない。後世の物語は彼をすぐさま義憤に駆られた英雄として描くが、実際のところ、涿郡の一青年が一枚の布告の前で見せた沈黙は、おそらく計算と感情が混在した、もっと泥臭いものだったに違いない。

――

ここで一度、時代の構造を俯瞰しておく必要がある。

後漢の霊帝、劉宏が即位したのは建寧元年、西暦百六十八年のことである。即位したときまだ十二歳であったこの皇帝は、政治を宦官に委ね、道楽に耽り、官職を金で売った。「売官」は比喩ではない。三公や九卿の職に価格表が存在した。司徒の座は一千万銭、県令の職は数百万銭という具合である。役職を金で買った者は、その元手を回収するために赴任先で民を搾り取った。搾り取られた民は田畑を捨てて流民となり、流民は山野に集まって賊となった。帝国の腐敗は単なる道徳的問題ではなく、精巧な悪循環として制度化されていた。

霊帝の治世において後漢という王朝はすでに死んでいた。ただ、まだそれに気づいていなかっただけである。

黄巾の乱は、その死体を揺さぶって目覚めさせた揺り起こしではない。それは死体が動いていたことへの、最初の公然たる確認であった。

光和七年、西暦百八十四年の春、張角は全国三十六の教団組織を同時に蜂起させる計画を立てていた。しかし内部告発によって計画は前倒しを余儀なくされ、二月に乱は火蓋を切った。組織的蜂起の理想からは外れたが、もはやそれで民心の発火を止める術はなかった。黄巾の旗は瞬く間に中原を覆った。

朝廷は慌てた。正規軍はすでに久しく戦場から遠ざかっており、その士気も練度も著しく低下していた。やむなく地方の義勇兵と豪族の私兵に討伐を頼らざるを得ない状況となった。これが、後に天下を切り取ることになる無数の軍閥が産声を上げる瞬間である。

朝廷が兵力の不足を地方に補わせたとき、帝国の解体は実質的に始まっていた。

――

劉備は夕刻、小さな酒肆に入った。

竈の煙が低く漂い、獣脂の灯明がぼんやりと卓を照らしていた。土の床に藁が敷かれ、数人の男たちが酒を飲んでいた。どれも農夫か日傭い仕事の者たちで、誰も声高に喋らなかった。布告の話題は、しかし確実に座の空気を重くしていた。

劉備は濁酒を一椀頼み、壁際に座った。

隣の男が独り言のように呟いた。「賊は冀州で官軍を破ったそうだ。」

返す者はなかった。

劉備は酒を口に含んだ。酸い味がした。涿郡の酒はいつもそうだった。

その夜、彼が母の元に帰ったとき、老いた母は灯明の下で縫い物をしていた。劉備は土間に座り、しばらく黙っていた。母は顔を上げずに言った。「また外で誰かに会ったのかい。」

「布告があった」と劉備は答えた。「義勇兵を募っている。」

母の手が、一瞬止まった。しかしすぐに動き出した。針が麻布を貫く、小さな音がした。

「行くのかい。」

「わからない」と劉備は言った。

しかしそれは嘘であった。

人間が「わからない」と言うとき、その言葉は往々にして、すでに決めた答えを口に出す前の間合いにすぎない。劉備はその夜、草鞋を編む手を止め、自分が何者であるかを考えた。漢室の末裔という血筋は、これまでの二十三年、何の役にも立たなかった。それは看板のない商店であり、地図のない旅であった。しかしこの布告は、その看板を掲げる場所を初めて提示していた。

漢を守る義勇の士として立つこと。

その行為の意味を、劉備が完全に理解していたとは思わない。しかし彼はこの瞬間から、「漢室の末裔である」という事実を、ただの出自から、政治的な道具へと変換し始めた。それは無意識の計算であったかもしれない。しかしそれは間違いなく計算であった。

夜が深まるにつれ、遠くで犬が吠えた。風が藁ぶき屋根を撫で、灯明の炎が揺れた。

劉備はその夜、久しぶりによく眠った。

――

翌朝、彼が郡衙の前に立ったとき、すでに数人の男が集まっていた。

役人が木簡に名を記録していた。無精髭の、疲れた顔の男で、義勇兵の応募者にさほど関心を持っていないように見えた。劉備が名乗ると、男は無表情に木簡に向かった。

「姓名。」

「劉備。字は玄徳。」

「出身。」

「涿郡涿県。漢室の後裔、中山靖王の末孫。」

役人の手が一瞬、動きを鈍らせた。そして特に表情を変えずに続きを記した。

「職業。」

「草鞋と蓆の行商。」

この回答の落差は滑稽であった。中山靖王の末孫が草鞋売り。しかし後漢末において、この種の没落は珍しくなかった。漢の高祖・劉邦から七百年、その一族が全国に散らばり、大多数が平民と変わらぬ生活を送っていた。中山靖王劉勝一人でさえ百二十人以上の子をなしたと記録にある。その末裔を辿れば、涿郡の草鞋売りに行き着いても何ら不思議はない。

しかし劉備が「漢室の後裔」と名乗ったことは、無意味ではなかった。

それは一個の主張であった。証明も担保もない主張であったが、乱世においては主張こそが最初の旗印となる。旗印なき男は賊であり、旗印ある男は士人である。劉備はこの朝、己の血筋という一切の物質的価値を持たない遺産を、初めて現実の世界に向けて差し出した。

受け取るものがいるかどうかは、まだ分からなかった。

列に並んでいた男たちの中に、一人、目を引く者がいた。

大柄な男で、眉が濃く、皮膚は日に焼けて赤みがかっていた。目元に刀傷があり、両手は農夫にしては不自然に大きかった。男はぼんやりと空を見ており、周囲の誰とも言葉を交わさなかった。後に劉備が知ることになるが、この男は涿郡の屠豚業者で、張飛という名だった。

しかしその朝はまだ、ただの見知らぬ男であった。

劉備は木簡に名を記されたあと、街の方へ向かって歩き始めた。まだ軍というものはなく、武器もなく、兵もなかった。あるのは名前と血筋の主張だけであった。

後の世が「三国」と呼ぶ時代は、この程度の地味な出発から始まる。

春の日差しが、涿郡の砂埃の道に斜めに差していた。劉備の影が長く伸び、その歩幅は来るときよりも、わずかに広かった。

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Chapter 1: The Sandal-Weaver of Zhuo Commandery — 覇道の残照――三国興亡記 | GenNovel