朝から雨だった。
忘我の湯の屋根に落ちる雨は、どこか間延びした音がする。普通の雨音というものは、もう少し急いでいる。しかしここの雨は、屋根瓦の上で少し考えてから落ちるような、そういう緩慢さがある。この建物に長く置かれたものは、みんなそうなるのかもしれない。わたしを含めて。
雨の日、浴場の人出は増える。湯治場というものは晴れより雨に似合う。客たちは傘を傾けながら暖簾をくぐり、湿った足袋のまま玄関に上がり、脱衣場で衣類を脱いで、それとともに幾ばくかの日常の重さも脱いで、湯に沈む。沈んでいる間は何もしなくていい。名前すら、霧夫人が預かっていてくれる。
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